浄慶寺縁起
数年前に書庫を整理中に発見。

現在調査中

浄慶寺の由緒、縁起が400年の時を越えて

今、解き明かされようとしています。

京都市歴史資料館のご協力を得て解読中です。
真宗大谷派 小野山(おのざん) 浄慶寺(じょうきょうじ)
宗祖 親鸞聖人(1173〜1262)
本尊 阿弥陀如来

 【創建】慶長九(1604)年、当地御幸町竹屋町南の地に、ほぼ現在と同様の地形で堂屋が建立された。

この地は、およそ八百年前、源三位(げんさんみ)源頼政(みなもとのよりまさ)公の旧館の地で、

境内に残る石地蔵は、当地の地主(その土地の守り仏)として大切に受け継がれている。

 当寺は尾州中嶋群富田村(愛知県一宮市冨田仮宮)に所在した浄慶寺であり、

戦国の世、織田信長の命により、壇長の中嶋家・富田家と共に京都へ向かった。

 途中、近江国浅井長政の擁護を受け、蓮如上人の木像を授かった。

また、安土城築城にも壇信徒が携わり天守閣の天井絵を画いた木村光頼(狩野山楽)も檀家となり

藤本家・井河家・狩野家と共に信長の亡き後、豊臣秀吉に養護され上洛したといわれている。

 京の地に入った折りには徳川家康が天下を収め、当寺は真宗大谷派(東本願寺)末寺となる。

よって当時の住職、法名 釋良祐律師を浄慶寺の開基とする。

 【山号の由来】梶井宮家の御料地であった小野(京都市左京区上高野小野)に小野山が在り、

その山中にあった宮家の御殿を拝領して当寺の本堂と成した。そのご縁により「小野山」の山号を賜った。

 当寺四世阿耨院釋元程は和歌俳諧に優れ、梶井宮の師資となり、よって宮より厚い加護を受けた。

元治元(1864)年禁門の変で当寺が全焼した折りも、その遺徳により梶井宮家から

妙心寺門前に仮堂支援を受け、程なく本堂も再建することが出来た。

 本堂は、昭和61(1986)年焼失したが、壇信徒はもとより関係機関の絶大な支援を得て、

現在の本堂が昭和63(1988)年に完成された。

現在 二十一世住職 釋浩彰
 開基  釋良祐律師  〜1640 一宮から近江、京へと来る 
 二代  釋玄コ律師  〜1623  
 三代  釋玄右律師  〜1704  
 四代  阿耨院釋元程 〜1747  和歌俳諧に優れ、梶井宮の師資
 五代  桂覺院釋元猛 〜1738  阿耨院釋元程の実子
 六代  新凉院釋元純  〜1742  阿耨院釋元程の実子
 七代  夭蓁院釋元祐  〜1743  阿耨院釋元程の実子
 八代  我聞院釋良昌  〜1765  阿耨院釋元程の実子
 九代  發願院釋良雄  〜1774  播州より後見人を付けて入寺
 十代  恩致院釋良程  〜1808  我聞院釋良昌の実子
 十一代  恩行院釋良栄  〜1813  奥州洋軽黒石 圓覺寺より養子に入る
 十二代  釋良祐  恩行院釋良栄の実子、幼少につき隠居し後に再任する
 十三代  真受院釋良運  〜1832  近州八坂 善敬寺の生まれ、良祐の後見住職。良祐の成人になる天保三年に住職を譲る
 十四代  正定院釋良祐  〜1866  
 十五代  清閑院釋良胤  長男に職を譲るが若くして亡くなり、十七代に再任す
 十六代  正真院釋良恭  〜1894  清閑院釋良胤の長男
實子の父
 十七代  清閑院釋良胤  〜1904  実父 捨權院益眞季得大覺位法印
実母 超樂院釋觀月禅尼 正定院釋良祐の妹
 十八代  浄華院釋開導  〜1942  岐阜県上中島群 徳仁寺に生まれる
妻 實子の婿養子
 十九代  浄泉院釋精美  〜1955  愛知県知多郡三和村久米 盛泉寺に生まれる
妻 宣子の婿養子
 二十代  浄晃院釋廣昭  〜1976  浄泉院釋精美の長男
 二一代 釋浩彰  浄晃院釋廣昭の長男
現在の住職