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 3月17日恒例の『ぶっちゃけ・問答』の後、有志で親鸞聖人の歩まれた道、六角堂参籠を体現しようと歩いてきました。

親鸞聖人のように百日の参籠は出来ませんが、少しでも同じような道を歩いてみたいと、日時を選んでこの日となりました。

親鸞聖人が参籠を決められた時は、建仁元年(1201年)29歳の時、みんなが床についた後毎夜雲母坂をを下り、

六角堂へ足を運んだとされています。

 今回選んだ、丁度この日は旧暦にしても現在の暦でもどちらにしても必ず親鸞聖人が歩まれた期間であることから

日を選び、時間も日が暮れてからということは決めておりました。
『ぶっちゃけ・問答』も終盤を迎えた頃、一本のお電話があり、比叡山より参務さんがお見送りに山を降りていらっしゃいました。

さらに、途中まで一緒に歩くとおっしゃって浄慶寺より六角堂、鴨川を出町柳を超えた辺りまで1時間ほどご一緒させていただきました。

浄慶寺より六角堂まで、約30分足らず、六角堂より鴨川、高野川と河川敷を行き、修学院離宮の横のきらら橋まで2時間30分ほどかかりました。
そして、雲母坂を上り、ケーブル比叡山駅まで2時間程。そこから、比叡山延暦寺まで1時間足らず。予定より、少し早く着けたので

参務さんのご厚意に甘え、延暦寺会館のロビーで少し休憩をさせて頂き、さらに、30分ほど降りて、大乗院へ。

親鸞聖人の『そば食いの木像』大乗院で勤行をして、お堂を出るともう夜がしっかりと明けていました。

大乗院を6時30分過ぎに出発をして、戻りはほとんど休憩をせずに来た道を戻り六角堂へ。到着したのは丁度11時でした。
2009

浄信会日帰りバスツアー

 一昨年十月お寺で浄信会役員の集まりがあり、その席上住職より、

新年会を改めて、来年はバス旅行に出かけたらどうかとの発言がありました。

 参加者三十三名を数え、富田健三氏九十五歳を最年長に、

住職の次女中島ちひろちゃん一歳まで、年齢幅の極めて大きい、

まことに珍しい集まりとなりました。

 二月三日(火、節分)はあいにく朝から曇天、昼前から早くも雨模様となりました。

が雨天決行、全員元気に、無事行ってまいりました。

 当日朝は、京都駅八条口バスターミナルに集合、時間通り午前八時半出発、

先ず十一時から三田市「キリンビアパーク神戸」の見学、説明を受けた後

美味しい「ビール」各種の試飲を楽しみました。

 次いで少し北へ上って「しい茸ランドかさや」に到着、早速栽培のしい茸を各自がもぎ取り、

それを持って昼食バーベキューの場に移動し、揃って賑やかにその生しい茸などを

焼きながらお腹一杯いただきました。

 午後からは南の神戸に出て真言宗「須磨寺」に行き、

本堂で同寺の住職から説明を受け、一同参詣を致しました。

印象が深かったことは、八百年前の源平合戦由来、平敦盛の首塚が、

沢山の堂塔に混じって静かに佇んでいることでした。

 そして最後の日程「神戸ベイクルーズ」の神戸港に向かいました。

午後三時より小一時間の神戸湾一周のクルージングは、

乗客も少なくゆったりとくつろいだ一時でした。

 これで全ての日程を終え、全員無事、予定の夕方六時前に京都駅に到着、解散しまた。

 今回の浄信会バスツアーは、参加各位のご協力を得て、大過なく無事終了致しました。

担当致しました立場より厚く御礼申し上げます。

また、平素は門徒さんの各位と中々お話をする機会がありませんが、

こうした出会いで気さくにお話が出来ましたことは、牽いてはお寺の活性化に繋がるものと思っております。
松村篤之介

山城第2組 同朋の集い
三重の巻き参拝ツアーに参加して


 この度《山城第2組同朋の集い》参拝ツアーに初めて参加しました。

 今回は一、真宗高田派本山専修寺 二、松坂牛鍋を賞味する。

三、東海道五十三次関宿を旅する日帰りの参拝ツアーであります。

 この旅行は『しんらんさまのナゾ解き』シリーズで毎年実施されているツアーで、

昨年は今回参拝する専修寺の発祥の地、下野国(栃木県真岡市高田)の専修寺を訪ねられました。

 平成二一年四月十一日(土)

 当日は初夏を思わす日本晴れに恵まれた総勢百二十余名が三台のバスに分乗して、

八時過ぎ市役所前を出発した。吾が浄慶寺組は中島ご住職はじめ十一名で、

ほか四ヶ寺のご同朋と二号車(四十三名)に乗り合わせ「恩徳讃」の合唱から始まりました。

 バスは伊勢路を津市内に向かい十一時頃最初の専修寺に到着した。

第一印象は「山門を入るとそこは本願寺であった・・・」例のフレーズが想い出される程よく似た佇まいがあった。

一同は親鸞様を安置した御影堂に参集しご本尊に合掌、「正信偈」の読経を合唱した。

 次にご住職代行の法話をお聴きした。

 専修寺の由来は、親鸞様が五十三歳のとき関東各地を布教活動中に発祥の地で、

長野の善光寺の支援で「一光三尊仏」をお迎えし、ご本尊とされて布教と檀信徒の育成に努められた結果、

六十歳で帰洛されるまでの七年間(一二二六〜一二三三)で関東の専修念仏の根本道場として発展させられた。

後年この道場が高田派本寺の基盤となった。

 「高田門徒」は真仏・顕智等優れた指導者に恵まれ、さらに発展し京都との交流を密にして、

親鸞入滅後二百年頃から東海・北陸方面へ布教活動を拡げると共に、伊勢国(三重県津市一身田町)に

無量寿院を創建(一四六九〜一四八七)された。しかし戦国末期、高田(栃木県)の専修寺は戦火で焼失したため

この無量寿院が後に高田派専修寺の「本山」として、また高田(栃木県)の専修寺を「本寺」と称し定着するようになった。

 「一身田にあるのになぜ高田派なのか?」これでナゾが解けました。

 境内では五分咲きの桜花見をしながら、親鸞直筆(国宝)の書物類を多数所蔵されている宝物館を見学し、

蓮池と竹林を背景に苔むす安楽庵の庭園を散策した。

 先程バスの中で、真宗十派の話があったが、宝物館にそれを表示する図書があった。

@高田派(専修寺)京都市のA大谷派B本願寺派C興正寺派D仏光寺派E山元派(鯖江市・証誠寺)

F誠照寺派(鯖江市・誠照寺)G三門徒派(福井市・専照寺)H出雲路派(越前市・毫摂寺)I木辺派(野洲市・錦織寺)

この通り検証することが出来た。

 正午過ぎ専修寺に別れを告げ、バスは二番目の昼食処に向かった。

午後一時頃、山小屋風のレストランに到着し三班に分かれて部屋に通された。

実は今回のツアーでこの二、は「こだわりの企画」で皆様も秘かに期待されていたと思う。

土曜日の昼、多人数が一度に食事が出来る所など無理な条件にも拘わらず実現させた主催者の努力に感謝する次第です。

 数人毎が食卓に着き、合掌の後本場の松阪牛のお鍋定食を賞味させて頂いた。

上質の肉は美味であったがマイ鍋、マイ味でお腹いっぱい皆様も満足された様子だった。

 午後二時半過ぎ帰りのバスで三番目の「関宿」見学に向かった。

関宿は古代三「関」の一つ「鈴鹿関」に由来しており、江戸時代には東海道五十三次の江戸から

四十七番目の宿場町で参勤交代や伊勢参りで盛えた交通の要所であった。

JR関西本線「関」駅の北側、国道一号線と平行して東西に延びた旧街道で

東追分〜西追分(亀山市関町)まで約一.八キロに連なった宿場町で、江戸・明治の町家が約二百軒保存されている。

その代表的な旅籠玉屋歴史資料館と周辺の町家を見学した。

 お天気に恵まれて日程は無事に済み、午後四時半頃帰途についたが、

最後の締めは「バス友」全員で「恩徳讃」を合唱して、午後七時半頃お開きとなった。

 末筆ながら今回のツアーを企画実行して頂いた役員の皆様方に有り難く感謝申し上げます。
長谷川清一

お待ち受け御影堂・諸殿見学会に参加して


 平成二一年八月二五日 御影堂門前集合

出席者十一名 時間午後二時〜四時

 九月三十日(御真影還座式)に親鸞聖人の御真影が御厨子にお戻りになられるので、

その前に御厨子・須弥壇を拝見させて戴けることになり、浄慶寺住職様 東本願寺係りの方に案内して戴きました。

思いも寄らぬお側近く迄入らせていただき有り難く、言葉では言い表せません。

感激そのものでした。作業は御厨子・須弥壇を解体されてから一年半もかけ、

金物の汚れは長年の蝋燭・灯明による油煙・煤(すす)・埃(ほこり)が原因で汚損が激しく漆面は

活性水・金物は想像もしなかった梅酢で洗浄その数は、ほぼ二万点もあり緻密な手作業で行われ、

内陣・外陣の境になる欄間には繊細な彫刻が沢山あり、上半身は天女・下半身は鳳凰とされる想像上の生き物、

麒麟・龍などの架空の動物等々飾り彫りがくっきり美装され往時の輝きが取り戻せられた内陣で記念撮影

 何時までも離れがたく、伝統的様式による匠の技には頭が下がる思いでした。

後各部屋・諸殿ふすま絵を拝観し素晴らしい機会に恵まれ感謝のひとときを過ごされて戴きました。有り難うございました。

合掌
大橋扶美